第1話・2幕

『鶴のために』

 

 


 吉法師は数日間、居城の自室にこもった。たまに城内を考えこんでいる様子でうろつき、書庫に入り、また自室に戻るなどを繰り返していた。いつもなら、朝から庭に出て木刀を振り回す。昼になれば女中の尻を触るなどのいたずらをしたり、

裏道から城下へ下りていくのが日課。それが突然引きこもりだしたのだ。
 城内は次第に何事かと騒ぎ始める。おとなしいのはいいことだが、ただただ不気味である。父にでもひどくしかられたのだろうとほくそ笑む女中ふたりが、たまたま歩いてきた吉法師とぶつかりそうになる。女中のひとりが驚きかわそうとして倒れる。
「す、すまん」
かれは女中の手を取り立ち上がらせた。
「申し訳ありません!」
 謝る女中の横を何事もなかったように歩いていく。ふたりは鳥肌が立っていた。改心した演技でもして、あとでとんでもないいたずらをされるのではないだろうかと。

 その夜。みなが寝静まったころ、吉法師の父である信秀の居城、古渡城(ふるわたりじょう)にかれはいた。
「久しぶりだな。おまえに那古野城を譲ってからというもの、ここにはほとんど来たことがないというおまえが、そんな真面目くさった顔でやってきて、ふたりきりで話がしたいなどと……いったいなにがあったのだ? 久々に一緒に晩飯を食うておるのだ。楽しい話でも聞かせてみろ」
「……天下を取るには、どうしたらいい」
 信秀は食べ物を吹き出しそうになる。
「おれは真面目に聞いてるんだ! 天下って、どうやって取ればいいんだ」
「なぜそんなことを聞く」
「理由なんてどうでもいいだろ。知りたいんだ」
「理由を聞かなければ教えることはできん。天下統一など、いち武将からすれば雲をつかめと言われているようなものだ。
多くの大名たちが天下を夢見る中、そのほとんどは夢や憧れで終わってしまうものだ。戦で部下の命を無駄に散らしてな。軽々しく天下を語るのは、おまえのためにはならない」
「天下人になってくれと言われた」
「だれにだ」
「それは……」
「……好きな娘でもいるのか?」
「ち、違う」
「いつも荒々しく駆け回ってうつけものと言われておるのに、いまのおまえの眼はとても優しく澄んでおる。そんなことができるのは、恋だけだからな」
「天下を取れば、みな平和に生きられる。戦もなくなる。だから天下人になりたいんだ」
「守ってやりたいやつができたのだな」
「そんなんじゃねえけど」
「そんな中途半端な気持ちで天下は取れんぞ」
「そうだ! 守ってやりたいやつがいる。だから教えてくれ!」
「よし、よく言った。いいだろう。天下を取るための方法の第一歩を教えてやる。一度しか言わないからよく聞いておけ」
「わかった」
「天下を取るといっても、当然、いきなり取れるわけではない。まずこの尾張を統一しなければ、ただのかごの中の鳥だ。この尾張の国主は誰だ?」
「斯波(しば)だ」
「そうだ。守護大名(守護は将軍が任命する軍事・行政官で戦国大名の前身)たる斯波義統(しばよしむね)だ。だがいま、実際に権力を握っているのは斯波ではない。その家臣であり代理を務める守護代、織田信友だ。斯波は国主とはいえその力は軟弱だ。信友の操り人形にすぎん。我らはこの信友の分家であり家臣にあたるため、我らは国主である斯波の家臣・信友のそのまた家臣だ。
信友は実権を握ってはいるが、力をつけてきた我らを恐れている。 いまでは我らの兵力は信友を上回っている。下克上を恐れ、気が気でないはずだ」
「なら信友を討てるのか?」
「はは、待て待て。この乱世にも主従関係はある。ただ戦をしかけてはただの謀反だ。それに、こちらも兵力を大きくそぐことになる。それを好機と見れば、長年の宿敵である美濃の斎藤道三は必ず攻めてくるだろう」
「じゃあ、いまはどうしようもないのか」
「おまえは根はしっかりしてはいるが、まだ子供だ。うつけものと呼ばれても、元気でたくましい子だと言ってすまされる。だが大人になればそうもいかん。いつまでもただのうつけものでは、天下など到底取ることはできん。天下を取るには、優れた家臣、信用できる家臣に恵まれていなければならん」
「信用できる……家臣……」
「戦となれば、身内や味方の軍勢からも裏切りが者出ることはよくあることだ。当然わたしは、親族同士が争うことなど、微塵も望んでいない。だがいまは乱世だ。いつなにが起きても不思議ではない。そんなとき、共に天下を目指す、真の友が必要になってくるだろう。おまえを心から支えてくれる、真の友がな」
「友?」
「そうだ、友だ。天下を取りたいのなら、まず強くなれ。喧嘩が強くても刀の扱いとなると別だ。得意な乗馬だけでなく、槍や刀や弓を学び、兵法も学べ。心も強くなれ。自分の負の感情に打ち勝ち、決してくじけない強い心だ。そうすれば自然と、おまえを慕う者たちが、おまえの周りに集まってくるだろう」

 多くのことを語る信秀だったが、吉法師は確実に理解できたことがある。信友を討たずして天下を取ることはできないということだ。そのためには、まず信頼できる部下と、真の友を得る必要があると、父は言っているに違いない。

 かれは馬の扱いには慣れていたが、槍や刀、そして弓といった戦に必要な武器に関してはほとんど知識がなかった。そのため、家臣の中から腕の立つものを頻繁に呼び出しては、こっそりと稽古をしていった。そして、うつけものとして振舞うふりをしながら、鶴姫のように、そんな自分を慕ってくれる人物を選び出そうとしたのだ。このときすでに、吉法師の天下取りは始まっていた。

 

 そして5年の歳月が経ち、13歳のとき、古渡城で元服し、信長、と名乗った。勇ましいその顔立ちは、とても13歳には見えないと、周りの者は口にした。その翌年。大きな出来事があった。信秀は長年、美濃のまむしと呼ばれた智将、斎藤道三に苦しめられ、小競り合い繰り返していた。決着はつかず、そのあいだに、尾張に隣接する東側の三河が、強敵である今川の勢力圏内に入っている。今川家の当主、今川義元は戦国大名のなかでも、天下に最も近い男とされている。

 北に斎藤、東に今川とあって、この不利な状況を打開するため、信秀は道三と和睦し、同盟を結ぶことにしたのだ。信長と、道三の娘『帰蝶(きちょう)』の年齢が近く、婚姻しやすいと思ったからである。
 一方の道三は、美濃で続いていた内戦に手こずっていたため、この提案を好機と見て受け入れた。


 時が来た。信長は古渡城で信秀から告げられる。
「信長よ。正徳寺という寺にて、道三がおまえに会いたいと言ってきている。娘を嫁に出す前に、おまえを一目見ておきたいと思っているのだろう。道三は智将と名高い男だ。この同盟も、将来おまえ次第でどう転ぶかわからん。決して道三に隙を見せてはならん」
「わかった。決して隙は見せない」
「話は変わるが、余計なことかもしれんが、まだ天下の夢は捨てていないのか?」
「あたりまえだ。そのために道三の娘と婚姻するのだからな」
「そうか。ということは、まだあの娘とうまくやっているのだな」
「え?」
「おまえが守ってやりたいと言っていた娘のことだ」
「天下を取るためならなんでもする。父上の言うことも聞く。だからひとつだけ頼みがある」
「なんだ?」
「あいつを、側室にしたい」
「そ……側室? は、はははははは!」
「なにがおかしい」
「まだ正室すら迎えておらぬというのに、もう側室の話を出すとは、さすがうつけものよ! しかしおまえたちはそんな話まで進んでいるのか!? 家臣たちも娘のことは知らぬのだろう? うつけが恋をしているとばれるのが恥ずかしいのか?
こそこそ密会とはうまくやっておるな。政秀の手を借りてか?」
「おれはまじめに言ってるんだ」
「そんなことはわかっている。なすべきことをしっかりこなしておれば、おれはおまえの色恋に口出しする気はない。そのときが来れば、側室として迎えてやれ」
 信長は、この同盟を織田家主導でやっていくために決してなめられてはいけないと思い、ある秘策を用意した。

 

 そしていよいよ会見の日。道三は、うつけものと呼ばれる信長を早く見たくてしょうがなかった。腹心の堀田道空(ほったどうくう)とともに町中に隠れ、信長の様子をうかがう。信長のお供は700人を超え、足軽が先頭。それに次ぐ部隊は長大な槍を持ち、弓鉄砲もかかげている。部隊は立派だが、信長はというと……。
 道空は苦笑いをしていた。
「あれが信長のようです。年は14、5のはずですが、少々大人びておりますな。しかしあの格好。とても見られたものでは」
「多くの者がたわけと言っている場合、案外その逆であるものだと常々思っていたが、それは間違いだったのか」
「芋縄の腕輪に、腰に火打ち袋。そして半袴(はんばかま)。とても名君と呼ばれる信秀の息子には見えませぬ。探せと言われてもそうそうお目にかかれる代物では」
「そんなことは説明しなくても一目見ただけでわかる」
「殿。同盟はよしとしても、姫様をあれに嫁がせるのはお考えなおしくださりませ。蝶よ花よと育てられた、この美濃の宝にござりまする。姫は気が強いところもあるますゆえ、これでは火に油」
「ひとまず会見で出かたを見よう。あとのことはそれからだ」

 ところが、信長は寺につくと、まず四方に屏風(びょうぶ)をめぐらせた。そして長袴にはきかえ、髪を整え、腰に小刀を差して道三の前に現れた。道空は驚いて言葉も出ない。道三は、やはり、という表情だ。
「信長殿。見事である。うつけものと呼ばれる理由、この道三にはよくわかった」
「であるか」
「娘は少々気性が激しいが、涙もろいところもある。あまり、いじめないでやってほしい」
「であるか」
「はっはっは! そう警戒せずともよい。さあ、盃(さかずき)を交わそうではないか。この強力な同盟と、ふたりの婚姻を祝って」
 ここに、信長を天下統一に導く強力な同盟が誕生した。
 信長は道三から大きな信頼を得ただけでなく、狙い通り、織田家主導の同盟に持っていくことができたのである。
 道三は、会見での信長の一連の演出を見て、この同盟を反故にすることは絶対に不可能であろうと確信した。
 信長は人生最初の大仕事を、見事にやってのけたのである。

 城に戻った道三らはこう話す。
「なにを聞いても、であるか、しか言わず、やはりどう見ても、ただのうつけものでありましたなあ」
「それはどうかな。見たか。我ら美濃衆の槍は短いが、尾張衆の槍は空を突き上げんばかりに長大だ。うつけと呼ばれるあの信長殿が、会見にあれだけの兵力を見せつけてきた。我らに下る気など毛頭ないという意思の表れだ。そして思っていた通り、本物のうつけではなく、うつけのふりをしているだけなのだ。そうやって、将来、自分に従うであろう家臣に目星をつけているのであろう。さすが信秀の子よ。我らはいつか、あのうつけものの門前に馬をつなぐことになるかもしれぬな」
 この日から、道三の前で信長をうつけものと呼ぶ者は、二度と現れなかった。

 

 この会見の報告を受けた信秀は予想以上の成果に喜悦し、古渡城で信長に賛辞を贈った。
「うまくいったようだな! さっそく聞かせてくれ。おまえの目に映った道三は、どんな男であった?」
「父上によく似ている」
「わたしに?」
「温厚でとても猛将には見えなかったが、頭は切れるようだ。隙を見せたつもりはないが、向こうにもまったく隙はなかった。
娘思いの温かい父親に見えた。なぜあのような男と父上が争っているのか、おれにはわからない」
「人は向き合って初めてわかりあえるのだろうな。わたしも最初から道三と向き合っていれば、長年、戦をする必用はなかったのかもしれぬな。しょせんわたしも、時代に飲まれたひとりの武将に過ぎなかったということだ。それは自分自身よくわかっている。だからわたしは、自分を天下にふさわしい男だとは思っていない。天下を夢見たことはあるが、その夢は、おまえに託すことにした」
「父上……」
「婚儀の日取りが決まった。そこでだ。本当ならなら鶴姫を正室に、というおまえの気持ちはわかっている。正室はたったひとりしか得ることができず、その力は側室の比ではないからな。それはもはや不可能ではあるが、せめて、濃姫との婚儀の前に一度、この古渡城に連れてくることを許そう。一度会ってみたい。日取りを決めて、連れてくるがよい」
「本当か!? 感謝する」

 日取りを決めた信長は、いつものようにひとりで鶴の屋敷に向かっていた。本来ならば子どものころとは違い、身分相応に護衛のお供を連れていくべきだが、鶴との密会場所である屋敷の場所は、だれにも知られたくない、ふたりの秘密の場所だった。それに万一のことを考え、屋敷の場所はだれも知らないほうが彼女の安全につながると思っていた。

 鶴は迎えにくる信長を待つあいだ、屋敷で着物を着替えた。その後、どんなに捜しても母の姿がない――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

迫られる犠牲。

信長と鶴姫、生死の選択――